【感想】「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」を読んで想うこと。

「女磨きって、エステやネイルサロンに通うことじゃないからね。
お寿司も指輪も自分で買おう。その方が絶対楽しいよ。」---------------
そして、長年の呪縛から解かれたような気持ちになりました。
やっと、良き理解者が現れたかのような、そんな気持ち。
もちろん、彼女はわたしのことなんて知らないのです。
わたしが大人になる前の「女の子」のころ・・
親戚のおばさんにこんなひとが1人でもいたとしたら、私はどんなに救われたことだろうか。
わたしは、関東近辺のとある山村で生まれ育った。
東京から電車で2時間ほどで、首都圏から最も近い田舎ではないだと思う。
空気が澄んでいて、背の高い山々に囲まれた渓谷に、わたしの育った山村はあります。
自然豊かな‘‘小さなその村‘‘には「結婚して子供を持つことが当たり前の世界」があり、
「女性は男性に養ってもらうもの」で「老後は子供や嫁がみるのが当たり前」という無言の圧力も存在しています。
そんな環境で育ってきたからこその、反発心なのだろうか。
その田舎特有の「当たり前」に、つい‘‘違和感‘‘を感じてしまうのです。
わたしは「結婚願望」も「子どもを生みたい願望」ないからいい。
笑って受け流せるからいい。
けれど、結婚したいのにできない、子どもを生みたいのにできないひとからしたら、とても残酷な世界だろう。
結婚しても、しなくてもいい。
子どもを生んでも、生まなくてもいい。
そう言ってくれる大人は誰もいなかった。
「女だからこそ、稼げる自分を作りたい」
わたしはいつのころからか、そう思うようになった。
シングルマザーだった母を見て、反面教師にしていた部分も大きいだろう。
「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」は、
波乱万丈な西原さんの経験談が、せきららに綴られているエッセイです。
‘‘お寿司も指輪も自分で買おう。その方が絶対楽しいよ。‘‘
もくじ
西原理恵子さんの著書「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」
西原理恵子さんの著書「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」は、
わたしがまだ10代~20前半の女の子だったころに読みたかった本だ。
「王子様を待たないで。社長の奥さんになるより、社長になろう」
女磨きって、エステやネイルサロンに通うことじゃないからね。お寿司も指輪も自分で買おう。その方が絶対楽しいよ。
(‘女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと‘から引用 P12)
これから世の中に出ていく女の子たちに、覚えておいてほしいことがある。
立派な言葉なら世の中に溢れているけど、私が言いたいことは、そういうことじゃない。本当に覚えていかなきゃいけないのは、たぶん、転んだ時の立ち上がり方。
長い人生、人は何回も転ぶ。
その時腐らず立ち上がる方法。
どうか覚えておいて。
(‘女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと‘から引用 P12)
西原さんは「ダイヤも、お寿司も、自分で買いましょうね」と、自分の娘に言い続けている。
それは、西原さん自身が壮絶な経験をし、波乱万丈な人生を歩んできたからだ。
子供には苦労してほしくないという想いがある。
「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」には、
自分の足で歩き、自分の手で稼ぎ、自分の幸せを人任せにしないための術が詰まっている。
社会へ出る前の「10代の女の子だったころのわたし」に読ませたい一冊だ。
まだ、世の中のことを知らない無知だったころのわたしへ。
10代のわたしには響かないのかもしれないけれど、いま会えるとしたらしつこく渡したい。
スキルがなく男のひとで苦労したわたしの母も、
「稼いでくる人がいて、家があって、子供がいる」ことが「女の幸せ」だと不思議と疑わないのだ。
その幸せが、壊れることがあると誰よりも知っているはずなのに。
知ってほしい。世の中の女の子たち。
いいひとに巡り合って、苦労しないひともいるよ。
でも、もし逃げたくなったとき、死別したときのことを想像してみて。
何もスキルのないまま、一人で生きていかなきゃならなくなったとしたら・・?
是非読んでみてほしい。世の中の女の子たち。
「女の子がひとり立ちするため」の、最初の指南書としておすすめだから。
西原さんの波乱万丈な経験から、たくさん学べることがあるでしょう。
そして、自分の歩いていく道について、しっかり考えてみよう。
「女の子がいきていくときに、覚えていてほしいこと」は、
「これから大人になる女の子たち」必読の一冊。
「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」の内容。
西原理恵子さんと言えば「毎日かあさん」「ぼくんち」などの代表作がある著名な漫画家さん。
そして、なかなかの波乱万丈っぷりな人生を送っている方である。
結婚後半年から始まった、アルコール依存症を患った元夫「通称・鴨ちゃん」(カメラマンの鴨志田穣)からの暴力や暴言。
朝から何時間も飲み、人前では穏やかにふるまうのに、2人きりになると目つきが変わり、
物を投げつけたり、胸ぐらをつかまれたりした。
そのころの記憶がないほどの壮絶な毎日を過ごしながらも、
そんなときでも、経済力だけは失ってはいけないと漫画を描き続けた。
結婚した相手がとてつもないクズだった場合、
相手任せの生活だと逃げることもできないと経験から知った西原さん。
学歴もスキルもないと、逃げることさえできない、と。
それらの経験から「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」が生まれた。
女の子こそ、最低限の学歴をつけよう、スキルをつけよう、
自分の足で生きていけるようになろうと、教えてくれる本だ。
西原さん自身にも娘さんがいて、反抗期などがあったけど、
生きていくときに覚えていてほしいことを伝え、親子の距離の取り方などもつづってある。
「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」の感想。
「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」は、世の中を知らない女の子たちへの啓蒙だ。
自分の人生を人任せにしてはいけない、自分の足で立とう、自分の足で歩こう。
西原さん自身の経験談も書いてあるからこその、リアル。
DVを受け、記憶をなくすほどの精神状態の中でも、
「経済力を失ってはいけない」と漫画を書き続けた西原さんのタフさ。
思考する気力さえをを奪ってしまうような日々の中でも、
ちゃんと「現実を見て、受け入れているからこそ」の精神力の強さ。
西原さんは、希望や妄想だけで自分の人生を進めないのだ。
ちゃんと現実を見ている。
なんだろう。
自己啓発本ではないのだけど、自分の人生頑張らなくては!このままでは終われぬ!!と、奮い立たされる良書だった。
それに、西原さんの経験から書かれているエッセイでとても読みやすい。
自分の人生に迷っている10代の女の子、親との価値観の違いに違和感を感じている女の子たち、是非、手に取ってみて。
あなたの進路を決める人生の道しるべになるかもしれない。
自分の足で生きていくためのヒントになるかもしれない。
ダメ男に引っかかっているなら、あなたに勇気や希望をくれるかもしれない。
妄想だけでは生きていけない、女の子こそ強くなろう、自分の足で立とうと教えてくれる一冊だ。
「女の子はいつか誰かに養ってもらえる生き物」で「女の子はいつか子供を生む生き物」だと、疑わない。
二年ほど前だっただろうか。
実家のこたつにあたりながら、叔母と話していた時のこと。
話題は従姉妹の進学についてだった。
「女の子だから短大卒で良いと思うんだけどなあ」と、叔母が言ったのだ。
ちょうど、叔母の娘(わたしの従姉妹にあたる)が、短大から四大への転入試験を控えていた時期だった。
私はその「女の子だから」という言葉が妙に引っかかった。
なんだろう、この違和感は。
「女の子だから短大で良い」って、どういう意味?「女の子」だから、何なの・・?
あり触れた自然な会話なのは十分わかっている。
でも、わたしは引っかかってしまったのだ(こじらせている自覚はあります)
「女の子はいつか結婚したら養ってもらう生きもの」で
「女の子はいつか結婚し子育てをする生きもの」だと疑わない。
都会と比べると、少なからず田舎とはそういう場所だ。
これは田舎特有の「当たり前」の価値観なのだ。田舎育ちなので、嫌なほどわかっている。
その‘‘地域性‘‘がしみついているので、何の意図もなく、自然と「女の子だから」と言ってしまうわけだ。
それは、わからなくもないし「結婚して子供を持つことが当たり前の世界」の田舎で暮らしている彼女たちからしたら、
違和感を感じてしまうわたしの方が異物な存在なのだ。
しかも、この会話は結婚していないアラフォーの姪っ子(わたし)に向かって行われているから、尚更、滑稽なのである。
会話しているその空間が歪んだかのような印象を受けたのを、今でも覚えている。
ひとつ加えると、叔母の姉(私の母)は私の歳で離婚し、女手一つで2人の子供を育て上げているシングルマザーだ。
「男に養ってもらえていない典型的な例」がこんな身近に、しかも、2人もいる。
それなのに「女の子だから」という理由で、
ただただ無意識に「女の子は結婚すれば安泰」だと疑わない方が、私からしたら不自然なのである。
女の子こそ自分の足で歩き、自分の手で稼ぎ、自分の幸せを人任せにしない生き方を
「女の子だから」という理由で、自分の幸せを人任せにするのってリスキーで危うい。
人任せの「希望」や、「期待」だけで生きていくと、いつか絶対に傷つくから。
なるべく、自分を傷つけないように生きていこう。
結婚しても、旦那さんが病気で働けなくなるかもしれない。
でも、自分に仕事があったら支えることができる。
結婚しても、DVなどで悩まされるかもしれない。
でも、自分に仕事があれば逃げることができる。
離婚するかもしれない。死別するかもしれない。
でも、自分に仕事があれば一人でも生きていける。
女の子こそ、自分の足で歩き、自分の手で稼ぎ、自分の幸せを人任せにしない生き方をしよう。
自分の幸せを人の裁量で決められてしまうなんて、よくよく考えたら恐ろしくないですか。
結婚も子育てもしたことのない私が偉そうなことは言えないし、
結婚して子育てをしている皆さんに怒られるかもしれない。
けれど、こんなことを日ごろよく考えている。
まとめ|「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」にある救い
「女の子だから」とか「女の子としての幸せな人生」って、なんでしょう。
これらから連想される「女の子は養ってもらって子供を生んで育てるのが幸せ」みたいな圧や風潮が嫌い。
「結婚したら安泰」とか「子供がいれば老後が安心」などと、なぜ信じて疑わずにいられるのだろう。
結婚したって何が起こるかわからないし、子供がいたって老後の面倒なんて看てくれないかもしれませんよ?
そういう話、沢山聞くし。
ちなみにわたしは子どもが生まれたとしても、子供に面倒なんて看て貰いたくない。
自分の人生、自分でちゃんと完結させて死にたい。
誰かに迷惑をかけてしまうことももちろんあるだろう。
でも、誰かに迷惑をかける前提で、自分の人生を進めたくない。
子どもには子どもの人生を生きてほしい。
自分の面倒は、最後は自分でみたい。
それができる自分を、ちゃんと若いうちから作っておけばいいし、
夫任せ・子ども任せ・人任せの人生になんてしたくない。
先日、母に「あなたにもいつかいい人生がくるかなあ」と言われたのだ。
愕然とした。
「は?今の人生いい人生だと思ってますけど」と答えた。
母の言ういい人生とは恐らく「稼いできてくれる優しい旦那がいて、家があって、子供がいる」そういう人生。
きっと、母はわたしが結婚する気がない、1人で生きていく気だ、この子は、と思っただろう。
でも、そういう意味ではけっしてない。
母とは血の繋がりはあるが、母はわたしのことをよく知らないのだ。
わたしは、結婚願望について問われたときは「結婚がしたいわけじゃない。
結婚したいと思える人がいればしたい」と答える。
結婚したくないなんて、少しも思っていない。
無理してするものではないと思っているだけなのだ。
こんなわたしだからこそ、西原さんのこの本に救われた。
いくら血のつながりがあっても、相性がある。
親子でも、親戚でも、合う合わないがある。
そういう時は距離を置こう。
西原さんのそういう考え方にも救われたのだ。
こんなこと子ども側から言ったら、ただの親不幸者じゃないですか。
でも、親である西原さんが言うからこその救いがそこにはあるのです。
そして、最後に。
お母さんとの関係性にもし悩んでいる女の子へ。もしあなたが家族の常識に悩まされているなら、そっとテーブルの上にこの本を置いておこう。
読んでくれるまで諦めずに。